k10tokima’s blog

日々の健忘録。創作とか料理とか人権とか独り言とかライフハックとか、忘れないための引き出し。頭に溢れる文字起こし。

透明化されるのは嫌だけど、言わなくたってもいいんだよね

助手席から桜を見上げて嬉しそうな、みかんさん🦊と、ぽこちゃん🦊と、ごんちゃん🦊
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最近はとても嬉しいことや楽しいことや、𝓗𝓐𝓟𝓟𝓨なことがたくさん続いてます。

 

穏やかさと反比例して抗不安薬が効きすぎてる気もしており、やっと減薬ができるかな〜と思ったり。

 

一方で階段から滑り落ちて太腿、大臀部にでっっっっかいアザが出来てしまったり😂

ご心配おかけしてしまった方々は本当にすみません、ありがとうございます…!

あとその名残だと思っていた背中に帯状疱疹が出来てしまいました。アザもうっすらあったから治りかけで痒いのかと思ったら、ベチャ…ウワーーー!?となって😭

こちらは土曜日に皮膚科に駆け込んで早期治療出来たのでなんとかなりそうだし、数ヶ月前に帯状疱疹のワクチン接種していたので3×4cmくらいの軽症で済んで良かったです😂ラッキー

皮膚科で先生が「陰性だって言おうとしたんだけど、うっっっすら陽性出てるね?」と驚いてたんで「マジですか!?ヒェ~」とクソデカボイスで叫んじゃいました。確かによくみると帯状疱疹の状態ぽいですな

 

まぁそんな中ですが最近はようやく穏やかに休むことが出来てると感じてます。

精神障害者保健福祉手帳も申請しました。適応障害と身体症状だって。

 

楽しいことや嬉しいことはまた別に書くとして、それとは別に最近気付いたことを書いてみるなど。

 

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私はこれまで現実の生活ではほぼプライベートなことは「内緒です」で通してきていて、インターネット上では匿名という前提で色んな事を開示してきました。

 

最初にやっていたブログやmixi、その後クィアとして書いていたブログやTwitter、そしてTumblrやこのブログなど。

 

透明化される≒決めつけられる…のが嫌だという記事(とお友達ハウス)

お友達ハウスと「決めつけられるのが嫌だ」という気付き - k10tokima’s blog

 

なんでかっていうと、タイトル通り。

透明化、いないとされるのは嫌。

だけど、別に言いたくないなら言わなくたってもいいんだよね。

私と同じように言わなくても、大丈夫だよと言いたかった。

私は私で、あなたはあなただからね。

 

私はこれまで自分の生きてきた在り方を、壁に向かって話す感覚で開示してきたのね。

誰かがそうすることで私も勇気や概念を知ることが出来たし、自分自身に対してわからないことがようやく形として捉えられるようになってきたからというのもあるわけで。

 

だけどそれは私がインターネットをそういう「こういう人間がいるよ」「そして生きているよ」とセットで示したかったというのもある。

 

だけど誰かが私のやり方をみて「そうしなきゃいけない」とプレッシャーを感じていたら、それは申し訳ないと思うんですよね。

もしそう思わせてしまっていたらごめんなさいね。

あなたと私は違う人間で、違う生き方をして大丈夫だよ。

 

私は言いたいから言っているけど、もちろん言いたくないことは言わなくても大丈夫。

はっきりとわからないままでも大丈夫。

今の所は◆であったとしても、■になるかもしれないし□になるかもしれない。それでも大丈夫。

 

 

 

いろんなことをネット上でオープンリーにしまくりなので、たまに「あなたのようにオープンになれなくてごめんなさい」とメッセージを頂くこともあります。

でもね、大丈夫ですよ。

私は失うものがないからというのもあるし、あなたはあなたで「言いたいなぁ」と思った時に言えばいいと思うんですよ、それで大丈夫ですよ。

いつもそういう感じにお返事してます。

 

自分のことをオープンにしていてもいいし、

同じようにクローズドにしていてもいい。

その両方はどちらも尊重されてほしいし、

大丈夫だよ、したいように選択してねとお伝えしたいです。

 

 

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というのも、数ヶ月ごとに美味しいものを食べに行こうぜ〜と会える唯一のリア友と会ってきたんだけど、あんまり私のジェンダーアイデンティティや周りの人達のことを「どんな人?」と聞いてこないんですよね。

それは興味がないのではなくて、「別にあなたが穏やかにいられる相手だとわかるならそれでオッケー!」という感じ。

 

確かに振り返れば私達は割と昔からずっとそんな感じだし、案外色々な政治的なことも見ている。

「色んな人がいて当たり前、誰もつらい思いをしないのが大事」という大前提がある人なので、私がどういう格好をしてても「似合うじゃん」としか言わないし、なんなら言わないときもある。

 

 

今日は改めて自分のことと大事な友人の話をしようとしたけど、「優しくて素敵な人だってわかるから詳しく言わなくても大丈夫だよぉ〜」という雰囲気で、なんかすごく安心しちゃったんよね。

話を聞いてくれないわけじゃないし、「えっそこまで言わなくても大丈夫だよ〜!」という感じ。

 

割と目から鱗でした。

 

常日頃インターネットではマイノリティであることの説明を求められ、現実でも家族にさえそういう事例を具体的に出さないと理解してもらえなかったから。それでもわかってもらえないことが多いわけね。労力と気力が削がれるんですわ。

 

私は透明化やいない事にされたくないからとはいえ、ちょっと身を削ってしまっていたのかもしれないなと思い直したのであった。

 

つまりやっぱりあまり褒められたものじゃないので、自分自身についての開示は、したいときにしたらいいよとより思ったわけでした。

 

大丈夫、あなたのことを話す選択肢は、あなたが持っているよと言いたいです。

 

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数年前にとある有名人がセクシュアリティと同性と生活していることをカミングアウトした時に、その人の知人の恐らくシスヘテロの人が「色々と慌てて心配になってしまった」と話してくれたことがありました。

私は今でもその人が何に心配していたのかちょっとわからないでいます。

 

その時はLGBTは生産性がない発言などもあったし、私は怒りが収まらずキレ散らかしてました。

カミングアウトされた有名人の方は機が熟したと察したか、いまこそと色々と考えた上で公にカミングアウトしたのだと私は感じました。実際にとても素晴らしく安心させてくれるような、優しい文章もともに公開してくれて、どれだけ救われたことかと感じました。

 

心配していた人には「その方なりに様々なことを考えて選択したのだろうから、見守るしか出来ないし、心配よりもこれまで通り周囲が接していけばいいと思います」と伝えました。今でもそれは欲しかったこたえなのかはわかんないですが…

 

 

 

 

選択肢はたくさんあった方が良いに決まっとる。

自分のことを言いたければ言えたらいいよね。

でも言いたくないことはもちろん言わなくてもいいのよ。

私も言いたくないことは言わないですしねぇ。

隠すのも面倒なのでインターネットでは思ったことをだいたいそのまま(ややマイルドに)書いてると思ってます。

 

ただこれは必ずしもいいことではないし、言葉をひとつひとつ慎重に選んで熟考しながら紡いでいる方は心から尊敬しています。

最近は自分もそういう慎重さや思慮深さを、見直したいなと反省しています。

 

 

 

そもそも選択肢があまりないなぁ…と感じる生活でもあるんだけど、自分が後悔しないような小さな選択をたくさん重ねて、つらくないように道を進んでいけたら何よりですよといつも思っています。

 

 

 

 

 

社会はなんだかもうぐんにゃりすることばかりで、政治や差別に向き合わなくて済んでる人達にはさすがに怨めしい気持ちが湧いてきそうになります。

でも思ったよりも現実はそこまで酷くないだろうし、味方になってくれる人もきっとたくさんいるはすなんですよね。

 

 

自分はやっと色々な選択肢を選び取れるようになってきたんだけども、これを読んでくれてる方もきっと見えてない選択肢はあるはず。

割と手探りで生きてる部分も多いんだけど、あなたもわたしも少しでも幸せに穏やかになれるように、なんとかやっていきたいね。

 

よくわかんなくなってきたので今日はここまで。