k10tokima’s blog

日々の健忘録。創作とか料理とか人権とか独り言とかライフハックとか、忘れないための引き出し。頭に溢れる文字起こし。

お友達ハウスと「決めつけられるのが嫌だ」という気付き

3月の頭にお友達のお家にいきました。f:id:k10tokima:20230325004133j:image

この前後からそれはもうものすごい長時間お話することが多くて、はじまりは私が家族に蔑ろにされて、お別れメッセージを送ってすごく落ち込んでる時に声をかけてくれたことだったかなと思う。

「いなくなっちゃうかと思った」と。

まだ出逢って1年も経っていないけど、面白いのがお互いにもっと前から認識していたらしいこと。

 

ここまで仲良くなれる人は、もうこれ以上増えないと決めつけてしまっていたかもしれないね。

 

お家に行って楽しく過ごして、なんやかんやでそのままお泊りさせてもろて。

永遠に話が終わらないんよ。こんなに面白いことある??

ほんとにずっと喋ってた。本当に楽しくて楽しくて。

 

 

それからはお互いに時間があれば色々と話すこともあって、おかげで色々と自分のことがわかってきた気がするわけです。

 

 

 

最近言語化できたのは「勝手に色々と決めつけられるのが本当に嫌だったんだな」ってこと。

 

●もっと頑張れると決めつけられるとか

●困っているのに「みんなもそうだよ(だからお前の困りごとは大したことない)」と決めつけられるとか

●性嫌悪はないけどネコ扱いされるとか(特にこれはレズビアン自認の人からそう扱われて嫌だった)

●他に好きな人がいるけど振り向いてもらえないからセックスしようと誘っても怒らない人間だろうと決めつけられるのが嫌だったとかさ。

●20年前頃にハリソン・フォードが好きだと言ったらおじさん好きだと勝手に決めつけられたとか(てめぇはハリソン・フォードじゃねぇだろが)

ハリソン・フォードが好きだと言ってたら、「海外に行って青い眼の子を産みたいからワーホリに行くために辞めるらしいよ」というヘイト込みで一言も言ってないことを決めつけられてたとか(災厄すぎる)

●お前は何も出来やしないとか

●一人暮らしなんか絶対にできやしないよとか

●シス女性じゃなくても君が君らしくあればそれでいいじゃん(でも現実には差別があるのに)とか

●信頼していた異性と、本当は友達になりたかった好意を周りから恋だと決めつけられるとか

●人は誰も恋愛し、結婚し、女性は出産するものとか(両親なんかそんなに子どもは欲しくなかったはずなんだよ)

●家族は家族なんだからとか

●この世は男女しかいないとか

●性加害の被害に遭うのはシス女性だから(お前の被害は知らんぞという態度、矮小化)とか

●当事者の意見が一方的に感じることがあるとか

●もっと頑張れるはずとか

●褒められたくて頑張ってるんじゃない?とか

 

 

 

 

もーーーーそういうのがとにかく嫌なんだなと

 

決めつけんな!!!決めつけんな!!!

なんなんだ!!!私の何を知ってるって言うんだ!?他でもない私が一番わかってないのになんで他人がわかるんだよナニサマだ!!!!

 

まぁこれは特性的なものだと思う、というのは置いといて。

 

 

 

私はとうの昔からずっと私であり、生まれた時から「この私」だった。

あらゆる自分のための、ほんとうに大切な情報を得ていなかったために「私というナニカわからないモノ」を勝手に決めつけられていた人生だったのだ。

 

 

えーー??やだねぇ。

なんというかこのエントリーはそういうことをダラダラ書いて整理してく場です。

 

 

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ここ5年くらいは仕事の合間に色んな病院に行っては今まで疑いもしなかった体質と、それを改善できる術があって愕然としたり。だったらもっと早くに知りたかったんですけど、みたいな。

さらにもっと体調も心身も悪くなって、自分で調べては検査して、また色々と体質や遺伝的なものがわかってきたり。

 

それでもしんどい、しんどい。

でもこれがずっと私で、ずっとそうだったんだと。

 

 

救われたいし、このしんどさを抱えたままただ居なくなるのが悔しすぎる。

だから生きてるし、だから色々とこうやってブログなりTwitterなりTumblrなり何かしらで言語化して、誰かの救いになればコレ幸いと思うようになってる。

 

全ては自分の辛さをなんとかしたいためなのよ。エゴだと言われたらそうかもしれないけど、悪いことじゃないでしょ別にさ

 

 

 

でもさぁもうちょっと体調くらいなんとか改善しませんかね???

精神科では「あなたは鬱ではありません」ということで適応障害からの不安障害とかなんだけど、まぁそれはそうかもしれない。

でもこれって私が私をわかってないから鬱にならずにすんでるだけな気もする。

鈍感すぎるから。鈍麻というか…

 

 

 

 

 

それでもマジでお薬の量は凄まじいし、こんなに必要な人間だったんだな、お疲れさんだよ…と思う毎日ですだよ。

必要だしお薬飲むのは好きなんだけど(改善するなら飲むぜみたいな)、あんまり寝れてないし立ちくらみは多いし迷走神経反射はやたら起きるし。

 

自律神経の不調はどうしようもないんだってさ。

寝汗とかマジで辛いんだが…寒くて起きるし脱水になるし

 

 

 

元気であったことが人生であんまりない。あんまりじゃないか。

でも悪いことじゃないでしょ、社会が悪いって決めつけてるだけじゃねーかい。

なんだかすごくムカついちゃったりする。

 

 

体調が良くない同盟、それが一番安心するかな。

そんなこともあるよね。

どうしようもないんだよ。

体調管理?んなもんやりようがないんだよ、社会が合わせろや。

 

 

 

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何度かブログには書いているし、物語にも描いたことがあるけど。

 

自分の中には白くて150cmくらいの高さの引き出しがズラーッと並んでいて、半透明で何が入ってるかよくわかんないのね。

開けてみると空だったり、半透明っぽくて見えにくい何かが入っていたりする。

 

そこを誰かから貰ったもの(言葉や情報や思い出とか)や、自分でなんとか気付いたものをしまっていく。

 

まだまだ埋まっていないし、よーーーーく目を凝らしてみたら何か入ってるように見えて、そっとあけてみたらアッ!なんか入ってたわ!と気づくこともあるわけ。

 

その作業は永遠に続くと思う。

 

 

 

多分ほとんどの人はその引き出しはもっと透明度が高くて、アクリル製で綺麗に入っているものが見えるんだと思う。

あらかじめ色々と入っていたり、うまく収納できるからどんどん埋まっていく。

 

 

 

 

私はうまく収納が出来ない。ひとまず入れてみては、半透明だからどこにあったのかわかんなくなっちゃったりもする。

散らかってるから慌てるし、どうしようもなくてそのまま座り込んでしまうけど、

周りからは「それでもうまく出来てる方じゃない?」とか決めつけられてしまう。

 

 

そうじゃないんだ、困ってるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

最近はカウンセリングのおかげもあって、自分の置かれてる状況と、感情が動く前に物事を治めることに徹してしまうとか、自分が大変なんだという状況がやっと自覚できるようになってきた。

 

カウンセラーさんは「麻痺ってしまっていたのが、やっと敏感になってきたんでしょうね」と言ってくれる。

 

「大丈夫ですよ」とか

「あなたがいて良かった」とか

「あなたとみかんさん🦊とごんちゃん🦊とぽこちゃん🦊のやりとりに癒やされます」とかは本当に嬉しいです。

 

みかんさん🦊とごんちゃん🦊とぽこちゃん🦊はそれぞれのぬいぐるみの個性があり、根本的なものは私と繋がってるのである。私が知らないことはみかんさん🦊も知らないし、ごんちゃん🦊が知りたいことは私も知りたいことだったりもする。

それでいてきつねさんたち🦊🦊🦊は友達であり、同居しているぬいぐるみさんたちなので。

 

みかんさん🦊とごんちゃん🦊とぽこちゃん🦊が可愛いね、ありがとう、とか言われるたびに、本当に泣きたくなるくらいに嬉しいのですよ。

それこそたくさんの花束を渡されたみたいな。

色とりどりのガーベラとかすみ草と淡い色のバラとかの、すてきな花束。

一番嬉しいかもしれないね。

おきつねさん🦊🦊🦊が誰かに愛でてもらっているのが、一番幸せを感じるかもしれない。

 

 

 

 

 

とりとめなくこうやって書いているうちに、「私」は「私」を取り戻していく。

大切な嬉しかった気持ちを、何度でも引き出しに入れていく。

さいきんは花を、大好きなガーベラも一緒に添えて引き出しをしめてる感じ。

カラフルなガーベラは半透明の引き出しでもよく見えて、嬉しい思い出や気付いたことなどがそこに入っていることを思い出せる。

 

 

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やっぱりよく考えたら、私は中途半端に中途半端だったんだなということがよくわかってきた。

ディズニーランドと同じくらい(正確には−約1年遅い)存在してるのにね。

 

小さいときに訪れた時は怖いものが多かったけど、詳しい人たちと行くうちに楽しい場所になってきた。

大人になっても怖いものはあったし(なんでみんな大丈夫なの?)、行くたびに楽しい発見もあった。

そして色々とオリエンタルランドの光と闇を教えてくれたうちの一人は、色々あって穏便?にサヨナラをした後、残念ながらトランスヘイターになってしまった。あーあ。

 

私はディズニーランドはヤベェ保守ニーな部分も含めて大好きだったし、やっぱりヤベェもんはヤベェと思っていた。

それでも元気がないとさ、行く気にならなくなっちゃうんだよね。すごい疲れちゃうもんよ。

ハロウィンでシス男性表象と思われるキャラクターの仮装を纏うのは本当に楽しかったし、あれは自分がシス女性ではないと気付かせてくれる出来事でもあった。

でも気候も私も友達も変わっていき、元気が無くなった私は自律神経が乱れに乱れて暑がり大魔王となってしまったから、もうあんな暑い仮装はできないのである。間違いなくしぬわ。

でも楽しかったなぁと、よくクラウド保管している写真を見ている。あれは私の誇りでもあるから。

 

忘れもしない2019年のスプーキー・Boo!パレードは本当に素晴らしくて、先頭のカラスを模した女性表象の5人のダンサーチームと、前年と違って殻が割れた帽子を被ったマダムとの去っていく時のダンスが本当に最高でさぁ。

私なりに頑張って通ったんですよ。体力無い中一人で。

一人で一番カラスたちを見えるところでスタンバイし、泣いて、なんて素晴らしいんだろう、ちゃんとケアや相応の給料はもらえてるんだろうか、脱水は大丈夫なのだろうかと考えていた。

コロナ禍になってからはダンサーたちが心配で行く気がなくなってしまった。もうあの感動は味わうことは出来ないのだ。オリエンタルランドなんとかせぇや。

 

 

 

 

 

そういう感じの、良くも悪くも色んな記憶は丁寧に、時に雑に引き出しにしまっていく。

 

 

 

もう少しさぁ、透明度が高くなってくれたら助かるんだけどなぁ。

なんだかいつも、色んなものが靄がかっている。

これは物心ついたときからそうなの。

こうさぁ、パァッッッと靄がサァーーーーと去ってくれたらいいのにね。

 

 

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お友達やお友達やお友達たちと精神科の医師やカウンセラーさんや、まぁとにかく色んな人達や自分自身やぬいぐるみさんたちと色々と語り合うことで、やっとわかってきた自分のことと、やっと埋まってきたのを実感するここ最近です。

 

 

 

本当はこんなことを書いてないで、出掛ける準備をしないといけないのである。

遠足の前のようでこんなにワクワクするのは久しぶりで、もう少し味わいたいけどさすがに準備して寝ないとね。

 

 

 

 

やっとこう、なんかさあ

楽しみたいなって思えるようになってきて良かったです。

社会がそうさせてくれないんたけどな!!!!!

 

 

ムカつくのでしがみついて生きるぜと思う。

死ぬのはこわいからね…痛いの嫌だし

出来たら臓器提供したい。出来る部位があるなら存分に使ってくれや。眼球くらいしかなさそうだけど…

 

 

 

わかりにくいけど今までよりも短いツーブロにして、ブリーチにシルバーとグリーンを混ぜたアッシュなヘアスタイルになりました。
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祝福しろよ!!!!!

 

 

 

 

しんどいことも辛いこともどうにもならなくて吐きそうになることも、どうしていいかわからないこともたくさんあってマジでそれどころじゃないんですけど。

 

なんかもう楽しめることは楽しみてぇな!!!!みたいになってきました。クソが世!!!!

 

キリがないのでおしまいのシシマイ

決めつけんな!!!!とキレ散らかしながら自分を取り戻していきながら、生きていきたいと思います。いやだけどな!!!!