嬉しかったことメモ
嬉しいことたくさん言ってもらったりして嬉しくて泣いちゃった。あと私はたぶん、大切な人達に幸せになってほしいし、辛いことは本当になくなってほしいし、そのためなら惜しまないよと思う範囲が広いのかも
辛いと思ったら心身のために離れるのは大事と医師とカウンセラーから言われたからそうしたい
あと最近は「自分だって幸せになりてぇよ!!!」という気持ちも出てきた。先月家族に蔑ろにされたりで別れを告げた時に「いなくなっちゃうかと思った」と言われて、本当にあの時辛かったんだなと改めて泣けて良かった。カウンセリングでは淡々と話しちゃったからね
花束をたくさんもらった気持ちになる
いろんな人たちに、私が大切な人だと想ってもらえていると知ることができて、すごく嬉しいと感じた
本当にあんまりそう感じられなかった人生なので
かわいそうだし、きっとこれから楽しいことや幸せなことはいっぱいあるんだと思えるようになってきた
こんなことははじめてである
もうすぐ30代の最後の歳になるという今になって知ることができて本当によかったね、かわいそうだね、でも人生いつだってやり時だとは思うのでこれでいいんだと思う
たくさん間違いもしてきたし、たくさん傷つけたりその都度怒られたり教えてもらえなかったり
自分なりに右往左往しながらなんとかしがみついてやってきたことが、ようやく誰かや自分自身へいい経験として繋がっていると感じられる
自分はあらゆる先人たちのようになれてないと思うけど、どこかでこれでいいやという気持ちもあるので、今の自分を受け止めてもらえることがとても嬉しいなと感じる。
自分よりも若い方々の方がよっぽどしっかりされていて本当に尊敬する人が大勢いて、でも自分も自我を持ったのが最近なのでそこはそうだろうよと純粋に尊敬している。
安心できるという時間が作れたのは本当に良かったなぁ
ありがたいなあ。
何度も言っているけど、秋に大変なことが起きたときに「私は皆に幸せになってほしいだけなんたよぉ!」と泣いてしまった時に、「あなたもその皆の中に入っているんですよ」と言ってもらえたことを本当に何度も思い返してる。
私も幸せになっていいんだと。
最近ははっきりと曖昧ながらに「どんな形でもいいから幸せになりてぇ〜」になってきた。
そして同時に「あんな大変な中で他の人の心配が出来るのはすごいこと」と言われることも思い出す。
きっとそれは私が自分自身の状況を捉えきれていないことと、考えるより先に他人を気に掛けること、皆の安全を確保したいというリスクマネジメントが働くのかもしれない。
良くも悪くもあるので、カウンセリングを重ねてそのあたりは時間をかけても理解できるようになってきた。
ただやっぱり言葉にされるとよりわかりやすいし、「大切に想ってくれている」「安心します」「とても感謝してます」と言われると本当に嬉しいなと感じることができる。
私こそだよーーー!!
「大切に想っているし、大切に想ってくれてありがとう!!」「安心してるのはこちらもだよーー!!」「とても感謝してるのはこちらも同じだよー!!!」
自分の感覚としては色んな人達から花束をたくさんもらっていて、でも実は気付かないうちにお裾分けしていたんだねっていう感覚です。気付かないうちにというのは特性的なもので、考えるより先に動いてしまうからという感じ
つらいことがたくさんあるなか、蔑ろにされてきた人生に「自分を大切に感じてくれる人達」がいると明確にわかってきたのは本当に生きようと思える気力になります。
たくさんのありがとうをどうやって伝えたらいいんだろう。その都度言っていきたいな