k10tokima’s blog

日々の健忘録。創作とか料理とか人権とか独り言とかライフハックとか、忘れないための引き出し。頭に溢れる文字起こし。

ケアされなかった親世代の回

実家に寄ったら可愛いことになってました。かわいー!!
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そういえば去年はずっとお詣りにいってる神社でめっちゃいい感じなことしか書いてない大吉を引いて、厄除けの祈祷をしたり色々御守買ったりしてたんですが(毎年恒例)

 

2022年を振り返ると「ご利益あったのか!?!?」になり、しょんぼりして御札をおさめてきましたわ。

 

LGBTへの差別的な神社とかあるじゃないすか

そういうのに該当するのか調べる元気がなかったんですよね

私たちの家族を「差別しない」神社はどこですか? 全国32の神社を調査した結果…

 

でも地元に根ざしてる神社だから挨拶に行きつつ、意見を送ったりあらゆる人権の尊重を訴えて、区別や排除という名の差別に反対することは両立すると思うんですよね。

というか行動は各自が考えればいいと私は思います。

やれる範囲でやれる事を、個人が無理のない範囲で選択することを奪わないようでありたいなと思ったりした1日でした。

 

 

ちなみに綺麗な鈴が欲しくて毎年引くおみくじは大吉でした。

読めない!笑

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まぁ似たような1年になるでしょう。

どこにお詣りに行っても「来ましたー、よろしくでーす」くらいしか拝まない人間なので、まぁ自分の人生は基本的になるようになるとしか…😂

 

 

それでも今年はのんびりとそこまで混んでない中に行けたので良かったです。こんな正月もええわな。

 

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そのまま車で母と山を越えてモールへ。

久々に会う友人に色々渡したいのと、可愛い猫のガチャガチャを探しに。

まだ出てなかったな〜!いつか来るといいな…

 

 

 

 

…で、コメダでまったりご飯を食べながら、昨日つらつら考えてたことをちょっと話しました。

 

はじめての穏やかな年末年始の回 - k10tokima’s blog

 

よく考えたら自分は自分の話をあまりしてこなかったし、要領が悪いからそういうタイミングも逃してた。

だから休職や適応障害の話を発症から1年経ってやっと話せたし、それってお互いどうなのって感じだなぁと思ったこと。

 

発達障害の話をして、恐らくグレーゾーンの私に皆苛立っていたことが、蔑まれていたと感じていた部分なんだなと感じたこと。

このあたりはずっと勉強してきていたし、話せば良かったなぁとも思う(聞いてくれたかはわからないけどね)

 

 

昨日弟に開口一番で「すごく髪型いいじゃん」と言われてとっても嬉しかったこと。

車の中で弟や父と色々話したこと。

 

あんまり話をしてこなかったねって。

 

 

 

 

 

で、夜まで家にいたんすけども。

また6歳前後のビデオを見せられながら、やっぱり辛そうながらにいい母親を演じてる母がかわいそうでねぇ。

 

自分でも「辛かったんだよねー」と何度も言うし、画面の母より歳を重ねている私だって見りゃあわかる。

でも笑顔で楽しそうな様子を演じてるのね。

 

もちろん子どもながらに「お母さん疲れてるな」とか「寝込んでたな」って記憶の方がめっちゃあるし、

「そんなに疲れるようなことしなくても良かったのに」と繰り返し伝えてきてはいたんだけどね。

 

 

 

深くそういう話をしていたら、母氏が

「わかった、多分自分の両親(ジジババ)にほっとかれたりしたから、自分はそうならないようにしたかったんだわ」

とか言い出して、ますます泣きたくなっちゃった。

「そんなんわかってたし、お母さんに必要だったのは子どもじゃなくて自分がしてもらえなかったことのケアだったんだよぉお」

としか言えないじゃんこんなん…

 

世が世なら産まない選択を出来たんだよ。だから私は選択肢がないかのように思い込ませていたしょーもない家父長制には反対なんだよ。

結局ケアをされないまま子育てして、子らが40近くになってやっとケアしあえるようになったんだし、なんか時間がもったいなさすぎない??

 

 

 

 

 

 

そんな話をしていたら

「あーなんか急にわかった、ばあちゃんの好きな紫色の服をなんで選ぼうとしないのか、理解したわ」と。

 

 

 

会社に勤めるようになって、うすい紫色のアンサンブルスーツを買ったんだって。

ばあちゃんの好きな色だけど、着てみたいと思ったんだって。

 

そしたらばあちゃんがすごく欲しがって、

「私が好きな紫色だねぇ」

「お金あげるからそれ頂戴」

と何度も言ってきたんだって。

何度も言うから着させてみたらサイズが全然違うから諦めてくれたそうだけど、やっぱり嫌だった想いだけが50年くらい残っちゃってたんだなぁ。と言ってた。

 

 

いやもうさすがに自分でも

「ばあちゃんの認知症措置入院の時の話が出た時に色々と資料を手書きで書いて渡したら、"看護師か保健師ですか?"とか"よく今まで無事でしたね"って言われたよね〜」

と言ってて。

「それはね、あなたもカウンセリングとかのケアを必要としてると私が思ったから、医師たちにシグナルみたいに伝えるために書いて提出しなよって言ったんよ。忘れてるだろうけど提案したのは私だよ。」

いつもこのことはそうだっけ、と言う。介護で疲れすぎてたから記憶が曖昧なんよ。

 

「それに昔のビデオとか見ても、やっぱりお母さんも受けられなかったケアをプロの臨床心理士にカウンセリングで想いを昇華するようなプロセスを踏んだほうがいいんじゃないかな〜って思うんだよね、何度も言ってきたけど」

 

「ぁあーそういうことかー」

みたいに言ってた。やっと理解したらしい。

 

 

 

私としては母氏が頑張って母親を演じていたことは凄いと思うし、だけどそのせいで所有物のように扱われたりしたのもあるわけだし。

母氏の両親から受けられなかった愛情や適切な関係を受けられなかったこと、そういうのはやっぱりプロに一度聞いてもらった方がいいんだろうな思った。

 

 

ただ前にも書いたように地元は精神医療が先でカウンセリング業がないから、オンラインのカウンセリングとかいいかもしんないね。セッティングだけしてあげるからさって。

 

 

 

 

ここ10ヶ月くらいで急に関係性は良くなったけど、出来たらそれぞれのケアされてないままの部分もそれぞれなんとかなってほしいなーと思うのであった。

 

楽しく他人になりたいもんですね。